cocoalightのブログ

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台湾南部の農業を命がけで守った日本人がいた。

台湾最南端にある烏山頭ダム、通称「八田ダム」を建設した

八田與一の名を知らない台湾人はいないそうです。

 

台湾の教科書にも乗っていて、日本人のスーパースターを誰か一人

あげてくださいと台湾の人にきいたならば、たぶん全員が「八田與一先生」と

言うでしょう。

 

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時は明治43年。

東京帝国大学を卒業した八田さんは台湾総督府の土木課の技手として台湾にいきます。

 

当時、南のほうは干ばつがひどく、農作物がまったくとれず、かと思うと

大雨が降り洪水が起こってしまうようなところでした。

 

また腸チフスやマラリアなどの疫病で亡くなる人がたくさんいました。

日本人も台湾統治時代多くなくなっています。

 

八田さんはこういう疫病にならなくてすむように上下水道と農業生産性があがる

灌漑用水を作りたいとおもいました。

 

日本で一番長い農業用水は愛知用水で全長100キロ、支線1000キロです。

八田ダムの総距離はなんと16000キロなのです。

10年かかって完成しています。

 

大正12年に関東大震災が起こりました。

その影響でダム建設の予算を削られリストラを迫られます。

 

そしてメンバーの中から実力の高い仕事の出来る人から解雇していったのです。

 

一日も早くダムの完成をしようと思ったら仕事が出来る人は手元においておくのが

普通です。

 

だけど八田さんは技術のある人は再就職ができるけど技術の無い人は再就職が出来ない。だから首を切ることはしない。

 

そして能力の高い人の再就職を探し、能力の無い人と10年かけて16000キロのダムを完成させたのです。

 

今でも八田さんの命日5月8日には慰霊祭が行われています。